最近、北朝鮮のミサイル問題を、カミーノで知り合ったヨーロッパに住む友達が心配して、私にメールをくれることが増えています。北朝鮮のあの人は「Mad man」という呼び名なんでしょうかね。遠く離れた日本のことや、日本に住む私のことを心配してくれている人が違う国にいて、嬉しいもんだなと思います。
カミーノの道で出会った人たちは、ほとんどが日本人の私に対して友好的で、日本に興味を持ち、リスペクトすら持ってくれている人ばかりでした。1人を除いて。
その1人は、ドイツ人の男の子(28歳くらいだったかな?)で、ややこしいけど名前はコリアと言います。
その、ドイツ人なのにコリアという名前の男の子と日本人の私が、英語で議論して、コテンパンに言い負かされて(と言うか英語力の低さでうまく反論できなかった…)、カミーノで過ごした日々の中で、唯一嫌な感情が湧いてモヤモヤして悔しくて、でも最終的に色々考える時間になって、コリアと話したのはそれっきりだったけど、最後は笑顔で別れたことを最近よく思い出します。何となく、コリアの話を書いてみようと思います。
出会いはポン菓子のディナー
かっこいい町で好きだったポンフェラーダ
コリアと最初に会ったのは、ポンフェラーダのアルベルゲ。私が韓国人女子と2人でステーキだけを焼いて夕食に食べていた時に、隣に座って、ポン菓子にバターを塗って生ハムを挟んで食べようとしていたコリア。
「それがディナー?」と私が尋ねたら
「Yes.米だよ。日本人は米を毎日食べるんだろ?」とクールに答えるコリア。
いやいや、それは米やけどポン菓子やし、スナックやし。それに米にバター塗って生ハム挟んだりせえへんよ日本人は。
といったことを冗談ぽく英語で伝えましたが、「これはスナックじゃないよ」と言って食べ続けるコリア。「そっかー…」という感じでその後はそっとしておきました。
それからも何回かは会いましたが、何人かでいる時はおとなしくて、口数の少ないクールな子で、ほとんど直接話すことなく何日かが過ぎた頃のこと。
それは、大雨が雪に変わってしまい、馴染みのメンバーは早々に歩くのを諦めていく中、私は歩き続け、最終的に小さい村のアルベルゲで足止めを食らった日でした。
コリアとは、それほど仲良くならなかったため、写真を使っていいか確認が取れていないため、コリアの写真は使いません。その代わり、その日の前後の風景の写真を。コリアはセインカミュをふっくらさせた顔でした。
雪の日のディナーで
標高1330mのオセブレイロ峠越えの前日、大雪でどこにも行けず、アルベルゲの1階の暖炉のあるカフェで暖まりながら過ごしていたら、オージーの感じのいいカップルが、
「晩御飯、ここで一緒に食べよう」と誘ってくれたので、一緒に食べることにすると、肝心のカップルが現れず、なぜかコリアと2人で食べることになりました。ポン菓子の件があったので、お互いの国のことを話すようになりました。
私がコリアに「日本の印象」を尋ねると、コリアの議論好きのスイッチが入ってしまいました。
「Japan?.....No future.」
という返答。
ピストルズからしか聞いたことのないワード。
「えー?!」と思い、なぜか聞くと、
分かりきったことを言うような呆れた顔をされながら、
「Because フクシマ」
と言われました。
それから勢いよく、まくしたてるように、
原発の問題、
ドイツはフクシマの一件以来、脱原発の方針に向けて進めている、
東京はもう終わり、
日本はヒロシマから何も学んでいない!
誰が日本のオリンピックなんか行くと思ってるのか?
ドイツ人は誰も日本に行かない!
と主張。
「…。」
日本語でもうまく反論する考えが浮かんでこないのに、英語で伝えなければいけないし…。
コリアに正直に、
「ごめんなさい、私の英語力では、英語でうまく伝えられない」
と言うと、さらにヒートアップして、
「うまく話せなくてもいいから、考えを言うべき。英語は話さないと上達しない。
Speak!
話さないとダメだ!」
とゆっくりと、しかもはっきりと、私の目を見て真っ直ぐに言うコリア。
これは逃げられない…。
カミーノを歩き始めた以来、初となる大変なディナーになる、いや、戦いになると覚悟しました。
ぶつけられる辛辣な意見
ゆっくりと単語を並べながら私が伝えたのは、
私だって原発を無くしたいということ。
オリンピックにお金を使わずに、もっと優先すべきことがあるとは思っているということ。
そして、今は原発もそうだけど、北朝鮮のミサイル問題も抱えているということ。
それを伝えると、コリアはキツイ言い方で
「フクシマを隠すな。」と言い、
「何千万人もの難民が出る。
EUの比じゃない。
中国人はとても嫌がってるぞ!
日本はアジア中から嫌われてるぞ!」
と言われ、さすがの私もカチンときました。
「いやいや中国だって大気汚染で日本に迷惑をかけてるし!」と言うと、
「いや、日本は放射能だぞ!分かってるのか?!」と叱られました。
悔しい。うまく反論できない。
「政治家や安倍リーダーが悪い」と言ったものの、自分の言葉が薄っぺらく、責任逃れな気がしてきます。
コリアは私に厳しく、
「地球上に迷惑をかけた」という戦犯扱い。
苦し紛れに、ゆっくりとなんとか反論したのは、
「日本人は世界一勤勉な国。賢い国民。
それは知ってるでしょ?
テクノロジーも凄い。
私たちは、必ず解決に向かって努力する国民です。」
という言葉。
そうは言いつつ自信も根拠もない。なんか薄っぺらい…。そりゃそうや、中学校レベルの英文やし。
何とかしていくってどうやって?自問自答しつつ、それが分かれば政治家も苦労しないしな…うまく言えないけど、負けられない…。
これはただの外国人同士の雑談ではない、もはや、ドイツ代表と日本代表の首脳会談や。
私の意見や態度が、そのまま、ドイツの青年によって、「日本は○○」「日本人は○○だった」と広く語り継がれていくに違いない。「英語が下手だ」ということは、これまで海外の人が出会ってきた英語を話せなかった日本人たちの連帯責任でもある。でもフクシマ問題にどう考えるか、どう答えるか、逃げるのか、今後のドイツにおける日本のイメージを左右する大事な議論な気がしてきます。
それくらいのものを勝手に背負っていた私。
苦し紛れに一発、
「What should we do?
What do you think?
じゃあ日本人はどうしろっていうん?どうすべきやと思うん?」
と放ち、コリアの答えを待ちました。
コリアは真っ直ぐにこう答えました。
「Pray (祈り。祈ることやで)」
…。
「祈り」で火がついた私
ええー?!祈るだけなん?
「は?」と思わず言いました。
あんなに福島について詳しくて、歴史や、政治のことも調べていて、結局できることが「祈ること」って何それ?!非科学的やし他力本願やし。
そんな私の戸惑いに対して、コリアは、冷静に
「日本は禅の国だろ?
神道や仏教の国でもある。
今こそ皆んなで祈るべき。
祈りしかない。」と真っ直ぐに主張。
私は今までで一番、全力で否定しました。
「コリア、それは違う!」
「祈りって、必要に迫られて、何かを求めて願うことじゃないし、
フクシマは、他力本願で解決することじゃない。
祈ってフクシマが解決するなら、imagine歌って戦争が全世界から無くなるわ。ジョンレノンにだって無理やのに。
コリアは本当に、祈りで放射能が無くなると思う?」
と私は畳み掛けました。生まれて初めて滑らかに英語が言えたような気がするくらい。
「もちろん平和のために祈るけど、
imagineも歌い継いでいきたいけど、
実際何ができるか、何をするかが重要。
行動が必要!祈りじゃない!
私たちに必要なものはactionやろ?」
と続けるとコリアは今まで以上に黙って真剣に聞いています。
「日本では、少しずつだけど、市民が政府に対してactionをしてる。それがどうなっていくかは分からないけど、社会を変えるには行動するしかない。
だ、か、ら、今必要なのは祈りではない!」
とまくし立てる私に対して、ようやく対等な目線をくれたような気がしたところに、オージーのカップルの彼女のメラニーが登場。
「エキサイティングしてるけど何の話?」
と言い、何となくその話題はそこで終わりました。
翌日のオセブレイロの教会。コリアは何を祈ったのかな
議論好きドイツ人と議論下手日本人
その後も、コリアと話をして、コリアが泣いたりとか色々あったのですが(それについては後編で)、その翌日、カミーノで2番目にキツイ峠越えで雪が降っているバッドコンディションの中、午前中の私の頭を占めたのは、コリアに言われた言葉たち。
感情としては、
これまでの私の人生で、真っ向から「日本はダメだ」と外国人から言われたことが無かったので、言われたことも悔しくて、言い返せない自分も悔しくて、ムカついてムカついて、言われた言葉を反芻しては、英語でどう返すべきだったんやろう…と考えたり、コリアに対して怒りが湧いていました。
「何であんなドイツの若造にあそこまで言われなあかんねん!
ムカつく!
ナチス野郎!(最低な私)
絶対日本に来るなよ!
オリンピックも辞退しろよ!
ポン菓子にウィンナーでも挟んで食べとけ!」と小声で独り言を言うくらいでした。
まあ、私の悪いところです。ムカついたら、ムカつきすぎるくらい悪態をつきたくなる…。本当はそれほど思ってなくても。反省です。
オセブレイロの峠を穏やかなスペイン人のハビと励ましあって越えた頃、何となく気持ちも落ち着いて、冷静に振り返れるようになってきました。
昨日のアレは何だったのか。
語学力の問題はあったけど、単語を紡ぎながら、何とか意思疎通はできていた私たち。自分の英語力のなさに対する悔しさは一旦横に置いて考えることにしました。
コリアは、あの後、韓国人に、「ノースコリアについてどう考えるん?」と聞きづらいことを聞いて、韓国人女子が半泣きになるまで詰め寄っていました。
そうか、あいつは、議論が好きなんやな…。
あれがコリアのコミュニケーションの1つなのかと思うと、異国について色々な知識を持っていること、自分の考えを聞いてもらい、異国の人間の考えを聞きたがっていたことを思い出すと何となく怒りが収まってきました。
「ドイツ人は議論好きだから」と聞いたことがあったので、まさにコリアは議論がしたかったんだなと思えてきました。
そして日本人は、いやというか私は、議論が上手ではないということを痛感。
聖徳太子の教え「和を以って尊しとなす」が日本の歴史の教科書のかなり前半に叩き込まれる日本人。いさかいを起こさないのが美徳な日本人。議論が上手ではない国民性と言える。
私は、すぐに言い返せなかったり、言われたことを根に持ったり、意見の違いがあったら、恨んで、人格を否定するまでいくほど議論下手。
違いから何かを見出そうとする姿勢が大切なのでは?
「祈り」に対する私の反論を、真剣に耳を傾けて聞き続けていたコリアの顔を思い浮かべると、そういうことが思えてきます。
もしかしたら、コリア青年は、「No future」な日本から、少しの「future」を感じ取ってくれていたようにも思えてきます。
平和ボケのジャパニーズに、「日本に未来はない」なんて真っ向から警鐘を鳴らしてくれたドイツ青年。
私の反論は、具体性に欠け、説得力もないものだったのですが、「祈りや!」と言っているじゃっかんファンタジーなドイツの青年に、少しは響いてくれたのかも知れません。
そう思うと、違うからといって、否定したり遠ざける前に、知ろうとすることや、違いから何かを見出していくことの大切さをコリアが教えてくれた気がしました。
セブレイロ越えの後は、議論でコミュニケーションをとっていこうとするコリアの若さと勇気を思い出して、無駄に揉めたくない「和を以って尊しとなす」症候群の日本人の私にはないものな気がして、とても眩しく感じていたのでした。
つづく
英語、勉強しよう…