私事ですが、つい最近、40歳に突入しました。
アラフォーというかフォーど真ん中です。
何ヶ月もインドにいた10年前の日々の事を思い出したので、何となく書きます。
仕事をやめて、何もかもから逃げるようにインドにやってきた私。旅の最終目的はコルカタのマザーテレサの「死を待つ人の家」というホスピスでボランティアをすることでした。
1人で飛び込みでボランティアに行くつもりでデリーから入った私は、東のコルカタに着くまでに、色々インドを見て回ろうと放浪をしていました。
その中でも1番印象深かったバラナシ。
そこでの日々を時々ふと思い出します。
バラナシの宿ウルバシゲストハウス
10年前のバラナシの街で、AC(エアコン)付きのレストランが、ベンガリートラのゴチャゴチャした道沿いのモナリザレストランの向かいのアプサラレストランしかなかったように記憶しています。エアコンと言ってもしょっちゅう止まって蒸し風呂みたいになることもありましたが。そこのレストランの上のAC付きの安宿ウルバシゲストハウスが当時の私の住処でした。
ウルバシゲストハウスの部屋もAC付き200ルピーと謳っていましたが、爆音のする謎の冷風機が備え付けてあるだけで、ただの熱風が出ることも多く、うるさすぎて眠れないので結局天井の大型扇風機を回して寝る日々でした。そんなどこにでもあるような特別綺麗でもなく、そんなに汚くもない安宿でしたが、私は一度もよそに移らずにそこに定住していました。
Urvashi Guest House (インド バラナシ) - Booking.com
アプサラでのインド文化学習
定住することになった大きな要因の1つはアプサラレストランです。
アプサラが、なんちゃってAC付きだったので、暑さをしのげたことも大きかったです。毎日宿の一階にあるアプサラでご飯を食べていました。
それよりも魅力的だったのが、そこに働いていたインド人3人組。
宿の雇われオーナー、ラケッシュはあまり仕事をせず一日中のんびりしていて、彼の仕事は、お香を焚くことと、旅行者とムダ話をすること。夜、時々ヒッピーを誘って屋上でハシシ(マリファナ)を吸うこと。
代わりに滅多に現れない本物のオーナーの、息子のアミット(当時17歳)が、オーダーを聞いたりレジをしたり宿のフロントもして、よく働いていました。
ちょっと大人になった頃のアミット
コックはナンドゥー。辛いのが苦手だと言うと、辛くないジャガイモのカレー、アルーダムを作ってくれ、それ以後、ヘンテコなオムライスやパンケーキ、チョーメン(焼きそば)など辛くないメニューを毎日提供してくれていました。
いつも美味しい料理をありがとうナンドゥ
この3人とくだらない話をするのが日課となり(と言ってもナンドゥはヒンディー語しか話せなかったけど)、毎日毎日バラナシでぶらぶらしていました。
オーナーの息子の働き者のアミットは、英語が得意で、英語でインドのいろんなことを教えてくれました。インドの神様の話、ガンジス川の話、ヒンディー語講座など、地球の歩き方の豆知識コーナーよりも深い話が聞けたので、毎日勉強になり、インドの国の面白さが増していきました。
ボリウッドスターの話
アミットが特に力を入れて教えてくれたのが、インドの全国民が愛するインド映画についてです。
ある日、この3人組と久しぶりに来た本当のオーナー、アミットパパとそれ以外の数人のインド人男性が夢中になってTVを見ていました。今からちょうど10年前、とある盛大な結婚式が行われたようで、TVを見ていると、インドの国中が大騒ぎになっている模様。
アミットに聞くと、興奮しながら、
「アミターブ・バッチャーンの息子のアビシェイク・バッチャーンが、なんとあのアイシャワルヤ・ラーイと結婚したんだ!」との返答。
はっきり言って誰も知らんけど…と思いつつ、アミットたちの話を聞くと、
・アミターブ・バッチャーンとはインド映画のボス。俳優でもありプロデューサーでもあり歌手でもある。もと国会議員でもある通称BIG B。
・アイシャワルヤ・ラーイはミスワールドにも選ばれたことのある全インド人男性の花嫁。美しすぎて人間じゃないといわれても信じてしまうくらい。
【ミス・ワールド】インドの超美人「アイシュワリヤ・ラーイ」画像まとめ(Aishwarya Rai) - NAVER まとめ
・アビシェイク・バッチャーンとは、ぱっとしない二世俳優。「みんなのアイシャをモノにできるような男ではない」とTVを見ていたインド人からボロクソに言われている。
「今日は何億人ものインドの男が泣いている」「アイシャの幸せだけを神に祈る」等の言葉。TVの中の、花嫁と婿の父の2人ばかりがクローズアップされたゴージャスな映像を見ながら、このバッチャーン一家の話を聞いているだけでも面白くて、どこの国もゴシップが好きねと思いつつ、その日からインド映画とインドの映画スターのレクチャーが中心となりました。
それから何年もしてからさらにインド映画の面白さにはまり始めたのですが、アミット大先生が、ガイドブックに載っていないインド人のこと、インドの文化のことを教えてくれました。
読書するサドゥー
マザーテレサの施設でボランティア
コルカタでボランティアをするつもりで、途中立ち寄ったバラナシでしたが、ガンジス川の存在に圧倒され、街のゴチャゴチャ感に魅了されていった頃、ラケッシュに「コルカタで何をするの?」と聞かれました。マザーテレサの施設のホスピスでボランティアをするつもりと答えると、「バラナシにもあるよ」との思いがけない返事。そんな情報は知らなかったのでびっくりすると、暇なラケッシュ(彼は常に暇)が案内してくれました。shivala ghatのすぐ近くで、門番の男性にヒンディー語で私のことを伝え、明日の朝から来ていいという話をつけてくれました。それから毎日、バラナシのマザーテレサの施設へボランティアに通いました。
主に仕事は、大量の洗濯(手洗いと屋上に干す)、時々患者さんの体を洗ってあげたり、インド人女性たちとチャパティー作り。私はこねるのも薄くのばすのも下手で、焼いたやつを裏返す係でした。その後、患者さんたちと歌ったり遊んだり。ここでの少人数での体験が後々のコルカタの死を待つ人の家でのボランティアに向けて、ある程度雰囲気も分かったし、笑顔になってもらう楽しみも改めて感じて、なおかつインドで過ごす度胸もついたのでいい体験だったと思います。
干してもすぐ乾くインド
ラケッシュは、いつも私がボランティアから帰ったら「おかえり」の代わりに「グッドカルマ」と言ってくれました。
ラケッシュは、夜のハシシを断ると「断った日本人は初めてだ!グッドカルマ。」と言ってくれました。おいおい、大丈夫か日本人と思いつつ。
ヒンズー教のことも神様別に丁寧に教えてくれ、現世で良い行いをするといい来世を迎えられるとよく言っていました。合言葉は「グッドカルマ」
日本に帰ったら働くよと言う私に、「働くことはグッドカルマだ」と。
ラケッシュの基準でいくと、いい来世になるのはとても簡単なことのように思えますが…。そしてラケッシュは何一つグッドカルマなことをしていないことも笑えますが、働かず、ハシシを吸うラケッシュも、私にとても親切だったのでグッドカルマでしょう。
30歳の旅と40歳の旅の違い
そんな日々を過ごしていた10年前の春。(インドは猛暑)
あれから10年経った今、アミットは結婚して子供もいてITの仕事をしながらデリーに住んでいます。時々Facebookでやり取りをする仲です。17歳の少年がすっかりおじさんになりつつあります。ナンドゥは別の宿で雇われコック。ラケッシュだけは消息不明ですが、それなりに元気にしていることでしょう。
当時の私は、まだ一人旅には慣れず手探りで旅をしていました。10年後の今もそれほど変わらずに旅をしています。旅先で出会った人の影響を受けながら、時々、思いもよらぬ方向に進みながら、それを楽しめる余裕も今は持ち合わせています。
何でも好奇心いっぱいで楽しんでいた20〜30歳の頃よりは、好奇心の範囲も狭まって、「退屈かも」「自分に合わない」「興味ないな」と思うことが増えてきていますが、その分、楽しいことを素早く探し当てる能力は高まってきているかもしれません。
それでも、旅や日々の生活を楽しいものにするには好奇心が必要。好奇心の劣化は避けたいし、食い止めたいと思っています。
今まで全く興味のなかったことに興味を持つようになったりという変化、新たなジャンルへの好奇心も加齢ゆえの良い変化かも知れません。スペインの太陽にやられて増えまくったシミと肌の劣化を嘆きつつも受け入れ、好奇心の劣化は防ごうと心に誓った40の春です。
バラナシでのボランティア情報
死を待つ人の家のシスターたち
コルカタのマザーテレサの施設、マザーハウスへは世界中からボランティアが集まってきています。日本では、ボランティアのツアーもあり、高いお金を払ってそのツアーに参加される大学生も多いようです。ツアーでボランティアに来ているのは日本人くらいで、どこの国の人も大概が自力で来て自力で申し込んでいます。現地で直接行けば無料で申し込めます。
また、コルカタ以外にもマザーテレサの施設はいくつかあります。バラナシの施設もあまり知られておらず、ボランティアが少ない印象でした。(2007年と2013年に実際行った印象です。)
ボランティアをしてみたいと思う方は、バラナシのshivala ghat(シバラガート)へ直接行ってみてはいかがでしょう?情熱を持ってボランティアするんだ!という人以外もたくさん参加されています。色々考え方もあると思いますが、インド旅の合間の暇つぶしでもいいと思います。いい経験になると思います。