こんにちは、あられです。
残業続きでイライラしてた夜、アムステルダムにいるおかしな2人組から面白い写真が届き、その写真からゲラゲラ笑う声まで聞こえてくる気がして、明日も頑張ろうと思えました。
その2人のことを書いてみます。
- 巡礼開始前日
- バイヨンヌ行き電車内での出会い
- サンジャン・ピエ・ド・ポーで再会
- 共に国境を歩いて越える
- ズビリの村で多国籍女子会
- いつも一緒だったパワフルな2人
- ログローニョで別れの誕生日ディナー
- 巡礼後も繋がっている私たち
巡礼開始前日
2015年の5月のこと。
3年かけて分割して800kmを歩くことにした私のスペイン巡礼、カミーノ・デ・サンティアゴを始めるべく、フランスのパリに私はいました。
初日が800kmの中で一番ハードだと言われているピレネー山脈越え。
本当に自分は歩けるのかな、
どんな人に出会えるのかな、
楽しめるのかな、
言葉は大丈夫かな…。
巡礼が舞台の映画、「星の旅人たち」でも、主人公の息子が初日のピレネーの山中で亡くなっているし…。
フランス語もスペイン語もわからんし。
英語だってイマイチ。
情報が無さすぎて、どうなることやら。
明日から始まる!というワクワク感の中に、じわじわと不安が浮かんできました。
カミーノのフランス人の道のスタート地点へは、パリのモンパルナス駅から電車でバイヨンヌ駅へ、まず向かいます。
そこからサンジャンピエドポーという街まで行けばスタート地点。 早朝のモンパルナスの駅のPAULでチョコクロワッサンを買って電車に乗り込みました。
モンパルナス駅にて
バイヨンヌ行き電車内での出会い
バイヨンヌに向かう電車の車両に、バックパッカーがチラホラ。
私の斜め後ろに、体格のいいブロンドヘアーの女子2人がお揃いのリュック、お揃いのアウトドアパーカーに身を包んで寄り添って眠っていました。
「もしや巡礼者??」
と思いつつ、おとなしく1人でクロワッサンをかじり、私もウトウトしているとバイヨンヌ到着。ブロンドガールズを含めた数人のバックパッカーが私と同じく電車を降りました。
バイヨンヌから、電車でサンジャンピエドポーまで行けるという情報だったので、どう乗り換えたらいいのかウロウロしていると、ブロンドガールズが
「どうしたの?」
と声をかけてくれました。
「カミーノを歩くんやけど、サンジャン行きの電車はどこか知ってる?」と聞くと、
メガネの方の子が、
「私たちもカミーノを歩くけど、サンジャンまでバスで行くよ。バスなら一緒に行こうよ!」と言ってくれたのですが、
メガネをかけてない方が、
「電車かぁー。インフォメーションで聞いてみたら?あっちにあるよ」と教えてくれ、
インフォメーションへ行って聞くことにしました。 インフォメーションで聞くと、電車は今無くてバスしかないよとのこと。
そうなん?!
とビックリし、仕方なくバス乗り場へ行くと、彼女たちがいて、
「Hello again!!」
と大きな声で笑いながら声をかけてくれました。 そこには、同じ車両にいたイタリア人ニコラス(通称ニコちゃん)もいました。
あの2人の大声の「ハローアゲイン!」で、一気に不安が吹き飛んだこと、楽しい旅になりそうな予感がしたこと。
今も忘れられない瞬間です。
パリから同じ車両、同じバスに乗ってスタート地点へ向かう人たちと、その後もずっと仲間として一緒に過ごすことになるとは思ってもいませんでしたが、これが私たちの出会いです。
バイヨンヌにて
サンジャン・ピエ・ド・ポーで再会
カミーノ開始前夜についてはこちら↓↓
一夜明け、いよいよカミーノを歩き始めることになりました。
サンジャンピエドポーの街を歩いていると早速の雨。
やっぱりそうかー。大丈夫かな?ピレネー越え…。
と不安になりながら歩き、街を抜ける最後のとあるアルベルゲの屋根の下でリュックを下ろしてポンチョをかぶっていたところ、私の名を呼ぶ声。
「ハロー、アゲイン!!!」
まさか!
なんとそのアルベルゲは、パワフルガールズとニコちゃんも泊まっていた宿だったのです。
まだ巡礼者もまばらな早朝。私たちは再会し、一緒に歩き始めました。
同じ持ち物と服装をしたブロンド女子はオランダのアムステルダムから来た30代の二人組で、 メガネの方がエリナ、 メガネをかけてない方がエイファといいました。
アムステルダムで2人で7年くらい一緒に暮らしていて、よく一緒に旅をしているとのこと。
エイファの方が落ち着いていて、ガシガシ歩き、 エリナの方は、よく笑う、いわゆる「ゲラ」(大阪弁かな?)の子でした。
すべての始まり、サンジャンピエドポーにて
共に国境を歩いて越える
嵐のような大雨の中、ピレネーの山を一緒に越えたのですが、彼女たちはとてもパワフルだったので、ついていくのがやっと。
大分遅れをとりつつ、彼女たちがこまめに長めの休憩を取るのでそこで追いつくという繰り返し。景色も霧と大雨で何も見えない中を、共に進みました。
ピレネーの絶景は霧の中…
あまりの暴風雨で、無人の山小屋のような場所に一緒に避難し、スタミナのあるエイファが、辛そうにしているメガネのエリナに、しっかりサンドイッチを食べるように言い、私にも食べるように言ってくれました。
フランスとスペインの国境地点も一緒にまたぎ、記念撮影。
励まし合いながら何とか10時間後、夕方にロンセスバリエスに到着。
みんなで抱き合って喜び、私は疲れで座り込んでしまいました。それも2人が手を引っ張って立たせてくれたり、ビショビショの服を脱ぐのを手伝いあったり、たった1日でこんなにも誰かと助け合う関係が作れるなんて!とちょっぴりそんな自分に感動をしていました。
国境にて。メガネのエリナとパワフルなエイファ
ズビリの村で多国籍女子会
翌日は、歩くのは別々でしたが(と言うのも、私はひどい筋肉痛で、すでにゾンビのような歩き方でしたが、あの2人はガシガシとハイスピードで歩けたので)、彼女たちが休憩しているところに追いついて 「ハローアゲイン!」と笑い合い、一緒にスナックを食べたりおしゃべり。
まだ休憩し続ける彼女たちよりも、ひと足先に私が歩き始める時に、
「See you sooner!」(すぐに追いつくからねー)
という挨拶は、それから毎日何回も行うことになりました。
ズビリの町では、大多数が泊まるアルベルゲではなく、町外れの小さなアルベルゲに私とニコちゃんたちと行ったにもかかわらず、オランダガールズが既にそこのベッドで横になってて、 「ハローアゲイン!!」で大笑い。
そのままのノリで、オランダガールズと私と飲みに繰り出すと、今度はブラジリアンガールズがその店で既に飲み始めていて、爆笑。
再会、再会の連続で、
カミーノにおいては、約束って必要ないのかも…
会いたい人には、会いたいと思えば会えることになっているとすら思うようになっていました。
5人での女子会は空のワインボトル何本並ぶねん!という状態で、みんなでとにかく大笑い。 エイファが日本のことを色々聞いて、スペイン語と少しのポルトガル語でブラジル人に通訳し、エリナはとにかくずっと笑ってるし、ブラジリアンは、ペレグリーノのイケメンベスト3を真剣に悩んでいるし、ベスト1は全員一致でニコちゃんだと言って笑うし。
カミーノが始まって2日間で、こんなに楽しい時間を過ごせれるなんて信じられなくて、
日本で仕事をして食べて寝てを繰り返している自分とは全く別の、
スペインでもう1つの自分の人生を送っているような錯覚のような時間の連続でした。
ズビリのバルにて
いつも一緒だったパワフルな2人
オランダガールズは、歩くときはいつも同じ服とリュックで、背格好も確かによく似ていて、他のペレグリーノから「twins」と呼ばれていました。
でも毎日いろんな話をして仲良くなっていった私は、2人が全く別の個性を持っていることが十分理解していて、私は2人ともを大好きになっていました。
例えば、炎天下を歩いていると、
エイファは「Sun!」と言って日向を歩き、
エリナは「Shadow!」と言って日陰を歩く(私も)。
エイファはバリ島に何度も行くほどのサーファーで「トロピカルガールって呼んで!」と言っていました。 私を丁寧に言葉に出して、ご飯に誘ってくれるのはエイファ。
エリナは、その後に大喜びして「レッツゴ〜!!」と言って腕を組んでくる。 エリナは、IT系の仕事をしていて、どちらかというと文化系。
休憩してると必ずエリナが
「Check the map!」
と言い、ガイドブックの地図を見て、エイファと私に今の場所や次の街までの距離を教えてくれます。
ちなみに、「Check the map」「sun」「shadow」「ハローアゲイン!」などのセリフは、全てメロディー付きで歌うようにエリナが言います。
それを聞いて、エイファも大声で笑ったりふざけたり。
そんな2人のやりとりを見ていて、
「あぁ、これは私たちや」と私は気づいたのでした。
28歳でこの世からいなくなってしまった私の友と私も、こんな感じの2人だったなと思い、知らない間にオランダガールズに対して、続くはずだった私と友の関係とを重ねるようになりました。(私の友について)
言葉も日本語じゃないのに、楽しく話して、すぐに笑って、ふざけて、でも助け合っているエリナとエイファが、日本人の私たちのような気がして仕方なくなりました。
特にあの子も「ゲラ」で、エリナの笑い方によく似ていたせいもあるかもしれません。
スペインでの楽しい時間がもう一つの別の人生のような気がしていたのは、スペインがどうとかではなく、ずっと心の隅っこにある、あの子がこの世にまだいて、30代、40代になっても、ずっと私の横で笑い続けているという、あるはずだった、あってほしかった時間を疑似体験している感じ。
私の叶うはずのない願望を、オランダガールズが引き受けてくれてるというか、一緒に叶えてくれているような。
勝手に投影しつつ、3人で大笑いしてても、見えないもう1人がいて4人のような不思議な感覚になることもありました。
まあ、あの子は異国で足を痛めながらも一日中歩き続けることに喜びを感じるタイプではありませんでしたが、もう体はないので、足も痛くならないから付き合ってくれてるのだろう…なんて思いつつ。
私たちにも笑い合う時間がまだまだ続いていたんだろうなぁという思いは、あるはずもない時間だったけど、オランダガールズの明るさのせいか、決して悲しいものにはなりませんでした。
いつもいいスポットで休憩している2人
ログローニョで別れの誕生日ディナー
エステーリャのイタリアンにて
ブラジリアンのラテンスパイスも入りながら、毎日一緒に笑って過ごし、2週間弱が過ぎました。
私の誕生日が1年目の巡礼最終日になり、お別れ会も兼ねて、エリナとエイファが洒落たレストランでご馳走してくれました。
生まれて初めての生ハムメロン。何とも言えない雑な盛り付け
私の友も私と誕生日が近いので、中学の時から28歳まではよく一緒に祝ったのですが、彼女の方は28で歳をとらなくなってしまったので、私にとって誕生日は、墓参りに行くということくらいの意味になっていました。
でも、オランダガールズのおかげで、楽しい誕生日を久しぶりに迎えることができました。
最後にデザートのフラン(スペインのプリン)が出てきた時に、そのお皿がめちゃくちゃ欠けていて、エリナがゲラゲラ笑い続けていた楽しい夜でした。
ストックを使って毎日歩いていると、腕の筋肉がこんなにもついた!と言って見せるエリナ
エイファは
「Let’s keep in touch!
これからもずっとファミリーだよ、
連絡を取り合おうね、
熊野古道に必ず歩きに行くね、
アムステルダムに来たらうちに泊まってね」
と言って、たくさんたくさん私にハグしながらお別れをしました。
(もちろんエリナも笑い止んでからハグの嵐)
目が真っ赤になっている2人でした。
巡礼後も繋がっている私たち
誕生日の2日後、
「巡礼の続きはまた来年!」
と言って私は帰国し、彼女たちはその後も歩き続けて3週間後くらいにゴールをしました。
Facebookで繋がっているので、いつでも彼女たちの生活を見ることもでき、
エリナもしょっちゅうメッセージをくれたり、エイファの近況を教えてくれています。
2年半、会ってはいないけど、大好きな2人。
次の年もその次の年も、私が1人でカミーノを歩いている時、力をくれたのはあの2人。
一緒に過ごした時間が私に力をくれていたし、 あの2人もここを歩いたんやなと思うと頑張ろうと思える自分がいました。
また、日本で、しんどい時、イライラする時、 アムステルダムにいる2人が爆笑している声を思い出して、少し心が軽くなります。
あの世からも別の笑い声が聞こえてくるので、心が温かくなります。
あの2人に限らず、カミーノで出会った他のみんなとの思い出も同じですが、 もう会えないんだろうな…と心のどこかで思いながらカミーノで出会った人と時間を共に過ごし別れてきました。一期一会ってこういうことなんだろうなぁと考えながら。
そんな中でも、
「会えなくても友達」
「きっとまた会える」
はっきりとそう言い切れる(願える)人が、あの世の友以外に、新たに2人増えたことが、カミーノで得た私の宝物です。
次会う時、「ハローアゲイン!」ってまたゲラゲラ笑いながら言いあうんだろな、きっと。
そう考えるだけで笑けてくるのでした。