2011年9月のネパール旅のこと~地震と墜落と雨~
旅の直前のぎっくり腰が知らせていたサイン?
旅に出る5日前のこと。
仕事中に重いものを持ち上げようとして「え?」となりました。
生まれて初めてのぎっくり腰。なんということか!
とっさに浮かんだのが、ネパールのトレッキング、どうしよ…でした。
痛くて痛くてコルセットを巻いて何とか歩ける程度。
5日でサクサク歩けるようになるとは到底思えない…。
がしかし、そこは根性で、ガチガチにコルセットを巻き、できる限り荷物を減らし、バックパックの3分の1がモーラスのシップで占める異常事態ではあったものの、何とそんなバックパックを担いで予定通り5日後にネパールへと旅立ったのでした。
インド北東部地震が起きたことをデリー空港で知る。
トランジットで降りたデリー空港。この日は、Hi-StandardがAirJamを東北で開催した日だったので、「エアエアジャムや!」とハイスタを聞きながら、お気楽に空港で時間を潰そうとしていたら、何かいつもと様子が違う。
空港のどのテレビも、大地震の様子が映されていました。ネパールとの国境付近のヒマラヤ山中が震源地。マグニチュード6.9の大地震。以前に行ったダージリンが結構被害が大きいようで、とても悲しい気持ちになりました。腰も痛いし、気分的にも沈み、また、ネパールも多少被害が出ているということだったので、先行きが不安でした。
カトマンズ到着。道がガタガタなのは地震のせいか、もとからか。
地震で多少、建物が倒壊したと聞き大丈夫かなと思いながらも町歩き。道がガタガタで歩きづらく、腰に響きます。
でも、このガタガタ道、ボロボロの家屋は地震のせいというわけではなかったりして?と思いつつ。
まだ若干余震を感じつつガタガタの道を足元を見ながら歩いていると、
ドスンっと上からでかいレンガが落ちてきました。
つま先の1cm先あたり。
ひえー!!!
やばかった。直撃していたら、死んでてもおかしくないサイズのレンガ。足がすくみました。上を見たら、今にも崩れそうなレンガの建物。もう早歩きで立ち去りました。
(2015年のネパールの地震で倒壊してしまった場所)
どうする?ヒマラヤトレッキング
カトマンズに数日滞在し、毎日腰に4枚シップを貼り、バイクを借りて姿勢を正して腰を守りながら走り回ったり、町歩きをしながら腰を癒していました。
ぎっくり腰前は、割と本格的にヒマラヤトレッキングを考えていたのですが、ちょっと厳しいかな、何か違うことでもするかな~なんて思い始めていたとき、1人の日本人の男の子と知り合い、晩ごはんにチキンモモを食べながら今後の予定について話し合いました。
その子は、「トレッキングはしんどいから、エベレスト遊覧飛行に乗ってエベレストでも拝もうかな、せっかくネパール来たしさ!」なんて言っていました。
なるほど。そういう手段もあるのね。
「腰が痛いなら、ネパールでヒマラヤトレッキングなんて無理だよ。飛行機で拝むので良くない?一緒に乗ろうよ。」と誘われ、うーん、そうやなあ…。としばらく迷いました。
でも、「飛行機がタダでさえ苦手なのに、小さいプロペラ機でヒマラヤなんてとんでもない、失神するわ!やめとく~」と言い断りました。
色々考え、地震の件でバタバタしているカトマンズを離れ、地震の被害をほぼ受けていなかったポカラへ移動し、軽めの3日間くらいのトレッキングでもしようと決め、その子に、「やっぱり山歩きたいし。イエティに会いに行くわ」と伝えて「じゃーねー」と別れました。
翌日、カトマンズでトレッキングに使う靴や靴下、フリース等を買い揃えていたところ、大雨が降り始めました。天気予報もどうもずっと雨だということを知り、「あーあ雨か。でもあの子、飛行機大丈夫なんかな?」とチラッとよぎりつつ、その翌日にポカラに向かいました。
ポカラ到着。「カトマンズ・エベレスト遊覧飛行機墜落」大惨事を知る。
7時間、バスに揺られ、ポカラに到着。宿を適当に選んでチャイでも飲もうかと思って入ったお店のテレビにお客さんがみんな集まっていました。
何?何?と近寄ると、飛行機墜落のニュース。
どこ?と聞くと、カトマンズのヒマラヤ遊覧飛行でブッダ航空だと教えてもらいました。
うそやん?ヒマラヤアタック?あの子、大丈夫なん?!
ニュースを見ていたネパール人のおじさんが、
「Japani?I’m sorry…」と言ってきて、しばらく意味が分からなかったのですが、その後、日本人の男性が1人亡くなったよと教わりました。
私は、あの男の子のことを考えて、もう血の気が引きました。
Breaking Newsとしてその日はずっと墜落事故のニュースが流れていたので、たくさんの人が「Japani,I’m sorry…」と言いに来たけど、あの男の子が亡くなるなんて。ウソ?としばらくショックでした。 翌日、被害にあわれた方が会社員だったと分かり、私と話したあの子は学生だったので、「あの子じゃなくて良かった」「自分もポカラを選んでよかった」とものすごくホッとしたのですが、その後すぐに自分がなんて不謹慎なんだろうと反省。The Yellow MonkeyのJAMの歌詞が頭をぐるぐる回っていました。
(外国で飛行機が落ちました ニュースキャスターは嬉しそうに 乗客に日本人はいませんでした )
複雑な気持ちでトレッキング。道中ずっと雨。
(ヒマラヤほどの 消しゴムひとつ 楽しいことを たくさんしたい)
ガイドさんを雇い、腰痛のため荷物を持ってもらって、トレッキング開始。
山に入ったとたん、大雨で雷続き。
何十年かぶりの異常気象とのこと。
毎日6時間くらい歩き続けるも、景色はほぼ見えず、何ともいえないトレッキングになりました。
でも、私は雨女(これだけでエピソード、山ほどブログに書ける自信あり)なので、雨は慣れっこ。雨の中雨音を聞きながら歩くのが実はとても好きなのでポンチョをかぶり激しい雨音と足元のぐちゅぐちゅ音だけを聞きながら、色々思いを巡らせていました。
トレッキング最終日もほぼヒマラヤを拝めず、山を降りた直後に雨がようやくやみ、「雨季が終わったよ」と教わりました。
下山中に滑って尻もちをついたときに、腰痛が治りつつあることを知りました。
(山を降りたら信じられないくらい綺麗だったフェワ湖)
この旅で考えたこと
大雨トレッキングのせいで、景色をほとんど堪能できなかったけど、考えていたこと。
- 旅で危険な目にあまり合わないできたけど、自分が知らないだけで、実は危険と紙一重だったのではないか。
- 自分と同じように旅している人が、自分の知らないところで命を落としていること。
- 自分に関係ない人が命を落としたら無関心でいること。
- 同じ日本人が亡くなったということを知って、「I'm sorry」と言ってくれるネパールの人たち。
- 日本で半年前に東北の地震があったことを知っている海外の人たちが、旅先で知り合った私に「大丈夫なの?」と聞き「I'm sorry」と言ってくれること。
- 自分が生かされていることへの感謝。
- 旅ができているのは健康な体があるおかげだということ。(腰痛より学ぶ)
- ぎっくり腰が何かを暗示していたのではないか。
それと、
- 疲労と空腹のあまり、大嫌いで食べたことがほとんどないなすびのダルバートを完食。日本での好き嫌いの多さはぜいたく病だと痛感。
のんきな私が日本でぼーっと過ごしているとあまり考えないようなことをじっくりと考える貴重な時間になりました。東日本大震災から6年の今日に、もう一度この大切なことを思い出せて良かったです。
I'm sorryという言葉
「I'm sorry」という言葉は「ごめんなさい」と習ってきましたが、それ以外にも「お気の毒に」という優しい意味をもつことも旅先で知り合った人から教えてもらいました。
言葉の持つ力は大きいなと思いました。
色々としんどい旅でしたが、いい旅だったと思えました。
この後にバスジャックにあったとしても。
norimakiararechan.hatenablog.com
言葉で思い出しましたが、ガイドのTJBさん。
日本語を熱心に勉強されていて嬉しかったです。
だけどその本はダメですよ。
「あさって、しごとを しないほうがいいです」を覚えてどうする?
日常会話の「おやぼ」て何やねん…。
【緊急連絡】どなたかポカラに行かれる際は、トレッキングガイドのTJBさんに新しい正しい日本語の教科書をあげてください…。