旅先で本気でヒヤッとした事件簿③ブッダガヤ後編です。
前編はこちら
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DIPグループとの出会い。
その日の晩は、私の人生史上最悪に暑くて寝苦しい夜で、夜間、停電のため天井の巨大扇風機も回らず、もう汗がえぐいほど出続けたので30分に1回くらい水シャワーを浴びてベッドに戻ることを繰り返し。
最終的にバケツでベッドに直接水をぶっかけて寝るという荒業(普通の宿ではしてはいけません。ボロい宿だったので。←していい理由にはならないけど。)を編み出して数回行い就寝。
翌朝、宿の主人に「扇風機なしで暑さで死にかけたで!」と言うと、
「え?部屋で寝たの?信じられない!停電してる夜はみんな屋上で寝てるよ。」と当たり前のことを言うように言われました。
いや、部屋で寝るやろ、普通は。
「何かソリが合わんわ、この町」という思いが強まりました。
うんざりしながら歩いてると、昨日のバイクのインド人がグループでいました。
そこのリーダー的な人DIPさん(ちょっとした有名人のよう。ブッダガヤに行った事がある人はご存知では?)が話しかけてきて、することもなかったので、ご飯を一緒に食べることになりました。昨日の男の子(キャンドルジュンに似ていた)も一緒で、DIPさんが、日本人の歌手ミネハハという人と一緒に貧しい子供たちのために学校を作った話をされました。また、ここでは学校建設寄付詐欺が多いということ、自分たちは違うということを熱心に語り、日本人に助けてもらっているから助けたいという話にも力がこもっていました。全てペラペラの日本語で。バイクでスジャータ村まで案内したい、ミネハハが作った学校を見せたい、焼肉パーティーをするからと言われました。
- 暑さで疲れていたこと(これが大きな理由かも)
- スジャータ村に行きたかったし、バイクで移動がベストだと思ってたけどその交渉も面倒だなと思っていたこと
- 焼肉という久しぶりに聞く心躍るワードに惹かれたこと
以上のことから、キャンドルジュンも一緒に行動することを条件に承諾。日本語を巧みに操るおしゃべり男の外国人は信用しないと決めているので、警戒心レベルを黒に近いグレーにしたままDIPグループと行動することにしました。
面倒なことになったら、キャンドルジュンを使って逃げようと思いつつ。
DIPグループによる2DAYSツアー。
警戒心を残しながら、味わった2DAYSツアー【無料】をご紹介します。
マハーボディ寺院にもう一度行き、日本語でしっかり説明を受け、悟りを開いた菩提樹の木の実でできた数珠をもらい、スジャータ村へ。
ここで、飢えて死に掛けたブッダがミルク粥を飲んだとかの話を聞き、ご飯もサントスくんだったか誰かの家でご飯をいただく。
飲みに誘われるが、即答で断り、早めに宿まで送っていただき終了。
宿の主人の言うとおり、屋上で野外で星を見ながら他のバックパッカーたちと雑魚寝。風が気持ちよく快適、熟睡。日の出と鶏に起こされる。
朝、サントスがバイクでお迎え。
キャンドルジュンとDIPさんたちとミネハハが作った学校へ。
「焼肉をするよ、BBQだよ!」と言われ、テンションあがるが、遠くからヤギが連れて来られ、小屋に入っていく。
メエー!メゲー!!!・・・
静かになり、しばらくしてシェフ係がヤギの心臓カレーソテーを持ってくる。
「あなたが心臓を一番に食べていいよ」というおもてなし。
命の重みを知る。
焼肉とは、続々と小屋からやってくるヤギの内臓、肉のカレー味コースのこと。
なかなか出てこないコース料理の合間にバケツに池の水を汲んで足をつけ暑さを凌ぎ、15分くらいでぬるま湯になるので水を交換。これを繰り返す。たまらずもうそのままプール代わりに池に入る。
気温は47度の日。
夕方、スジャータ村の星空が綺麗だからと聞き、もう一回連れて行ってもらう。
人生で一番綺麗な星空を見て、星が多すぎて、もはや宇宙やと思って怖くなる。
1時間くらいの距離のガヤの駅までバイクで送ってもらいお別れ。
(私のオアシス。そしてプール。)
最後にヒヤッとしたこと
警戒心は常に持ったまま、割り切って行動を共にしていたので、やっぱり今でもあまりブッダガヤは好きではないです。ヤギのBBQはいい体験だったと思っていますが。
旅先で知り合った人のイメージでその場所のイメージが決まることが多いので、そこは少し残念でした。確かに悪い人たちではなかったし、タダで色々世話をしてくれたので、多分、私じゃない人なら、「いい人に出会った」って言うんじゃないでしょうか。キャンドルジュンとかもそう思っていると思う。
でも、私は、仏教の聖地で、インドで一番貧しい場所で、けっこういいTシャツとジーパンを履いて、「人助けが好きだ」と言いつつ、お金を出してくれるミネハハがいるから、昼から仲間と集まって、日本人連れて遊んだり、お酒とか飲んでる日本語ペラペラのインド人の若者たちにどうしても好感が持てなかった。まるで嫌な感じの日本人。自分も一緒に行動しておきながら、そんな私の勝手な判断です。
彼らの建てた学校は本当にちゃんと学校なようです。でも、「寄付金で象を買って学校の横で飼う」とか言ってて、夢を語るのもいいけど、そんなことより筆記用具とか教科書とかが先やろ?何もないやんここ、と思ってしまいました。
帰りにガヤ駅まで送ってくれることも、夜だし、キャンドルジュンと解散した後でサントスと2人きりになるから嫌だなと思ったけど、スジャータ村の美しすぎる星空で警戒心レベルが下がっていたのと、私の「リクシャー代が浮く」という邪な気持ちで結局送ってもらいました。
めちゃめちゃスピードを出すので怖いー!と叫び続ける恐怖の2ケツ。
「しっかりつかまって!」と言われていたものの、あんまりサントスと密着して、変な気を起こさせないようにという私の警戒心のせいで、しっかりサントスにしがみつくこともできず、サントスの背中のTシャツをつまむ程度がいけなかった。
「ああ、寺でぞうきんがけしていればこんなことにならなかったのに…」と後悔していると、でこぼこ道でバウンドし、手を離してしまい、ピョーン。
スローモーションで、「あ、空、飛んでる!」と。大分後ろに吹っ飛びました。
しかし、バックパックを背負ったままバイクに乗っていたので、背中で着地。バックパックが衝撃をカバー。吹っ飛んでいった私にサントスがびくびくしながら近寄るものの私はまったくの無傷。私はまるで裏返った亀でした。奇跡でした。そしてブッダガヤを去りました。
ブッダガヤで私が開いた悟りは
- 疲れ(暑さ)は判断力を鈍くさせるということ。
- 「妥協」「面倒なことを回避」「そっちの方が楽かも」私の旅において、こういう考えを優先させることは、精神的な自由を奪われるのと同じ。
- 一緒にいたいと思えない人といるべきではない。自分の勘を大事にする。
どんな理由があっても、効率や損得だけを理由に、妥協して自分が信用していない人と過ごすのはやめようと心に誓いました。別に何か嫌なことをされたということは無かったのですが、何となくいやでした。DIPさんたちのことも、自分のことも。たとえ危険な目にはあわないなと分かってても、一緒にいたくなければ、いない。
私は自分の「何となく」を大切にしたい。
「徐々に相手を知っていけば、いい人かもしれない」とか、私の場合は、ほぼ無い。無駄。最初に何となく引っかかる人は、結局好きになれないので。
後日談。その後、DIPさんが日本にやってきたのですが、日本の女の子何人かとヤッたという話を得意げにしていて、「やっぱりな、私の警戒心アンテナは間違ってなかったぜ、そういう奴らだと思ってたぜ」と、危機管理がしっかりとできていた(そもそも誘われてもいないが)自分を誇らしく思いました。
多分、もう行かないと思うブッダガヤ。
悔しいけどここで見た星空が10年たった今もベスト1です。
(子供たちの笑顔は最高だった。)
帰国してしばらく経ってから、長澤まさみ主演のドラマ「ガンジス川でバタフライ」(私の好きな本をスペシャルドラマ化したやつ)に、DIPさんグループが勢ぞろいで映っていて笑いました。中谷美紀姉さんもちょろっと出ます。インド盛りだくさん。